銀籠クラブ

大阪大学バスケットボール部OBのメンバーを中心とする、バスケットを永遠に愛する人達が集まるクラブが銀籠クラブ。そのメンバー達が作るブログです。

2013年06月

2013年6月29日 七帝戦 応援記

      七帝戦 応援記
                                                     6月30日 藤谷 武夫

  6月29日,石橋(豊中)キャンパス体育館 において,七帝戦の最終戦(対 北大)が行われました。
そこまで,阪大は,全戦全敗状態(残念ながら,OBの多額の寄付金は勝利に貢献しませんでした)。
(写真は,クリックで拡大します)
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 阪倉,泉,藤谷の年寄OB,そして,片岡,中島など若手OB の盛大な応援の元,北大から見事勝利をもぎ取りました。
最下位の順位ながら,貴重な1勝でした。
好不調の波が,これほどはっきり出たゲームを見たのは初めてでした。
阪大も北大もお互いに,好調の波の時は良い動きをし,不調の波の時はここまでミスをするかという状況でした。
(終了間近で,照明が消え,10分ほど試合が中断すると言うハプニングもありました)
最終的には,点差ほどの実力差は無く,何とか勝てたという状況でしたが,これをきっかけとして,リーグ戦で頑張って欲しい物です。

阪大:北大=78:65
(優勝は,名大でした)

(このBlogへのコメントは,だれでも書き込めます。自由に書き込んでください)

追伸;
 七帝戦応援の後,阪倉,泉,藤谷は,馬場,池田,西村,田中,西本,松岡,中川 と合流し,10名で作田氏の家を訪問し, 在りし日の作田氏を懐かしみながら,大宴会を催しました。作田氏奥様には,大変にお世話になりました。
 (七帝戦のOB戦や宴会には参加できませんでした)

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リーグ初戦の報告(6月23日)

  リーグ初戦の報告

  6月23日(日)リーグ初戦 GAME 13:45~
    岸和田総合体育館 ユニ白
   対 ラストアゲイン


惜敗 で負ける。 71 対 72

 内容:
 ゲーム前半は,3点シュートの応酬。
一時は,10点差まで広げ,勝ちムードになる。
しかし,点が入らない時は,全く入らず,追いつかれる。
そして,同点で終了。延長(3分)に突入。
終了間近で,71対69の2点差で勝っている。が,
相手チームの3点シュートが決まり,71対72となり,逆転される。
残り,約5秒で,こちらのボール。NBAの試合のような緊張感。
が,最後のシュートは入らず,負けが確定。


以上,皆さん,これからも応援をよろしくお願いいたします。
(ハワイ旅行中の竹村キャプテンに代わり,藤谷の報告でした)

2013年 7帝壮行会の報告 と リーグ戦案内

            銀籠クラブの皆様へ
                                             130611    竹村英雄   

<7帝壮行会>★
   7帝壮行会は、参加者、OLDOB・OG 11名、多くのYOUNGOB、現役の参加を得て、盛大に開催致しました。
 OLDOB・OG 参加者 11名
   岩佐、荻野、竹村、片山、植木、田宮、木村、阪倉、泉、小倉(北大)井上奈穂

 OB戦は、現役に花を持たせましたが、銀龍もいい練習になりました。
  今年の7帝は、6/25~29にかけて、阪大主管で開催されます。

★06/29(土)は10時から豊中体育館で北大戦が予定されています。盛大な応援宜しくお願いします。★


 特別寄付につきましても、29名の有志の方々から、総額35万円もの寄付を頂戴し、氏名と金額のリストと共に、現役に贈呈致しました。寄付して頂きました皆様、本当に有り難うございました。

(写真が後半にあります)

 壮行会出来事-1
  私(岩佐)は、自分が持っていった焼酎(アルコール度数39度)でヘロヘロになり、後半はよく覚えておりません。
 酔っ払って阪大の入り口で、ひっくり返っていたところを荻野に救出され、坂の下まで抱えられて、無事タクシーで帰還いたしました。
 皆さんも気をつけましょう。
 
 壮行会出来事-2
  幹事役の植木です。七帝壮行会にご参加いただいた皆様、ご苦労様でした。
  岩佐さん、大丈夫でしたか? 
  私は新大阪で最終の新幹線の発車を1分以上待たせて長い階段を華麗に駆け上がり、ギリギリで飛び乗りました。
  あれから3日後の今も筋肉痛状態です。
   P.S. 松田さん、金曜日はいろいろと有難うございました。
  次回は竹村さんと2人で「取締役ご就任記念 大接待ツアー」を企画したいと思います。


<銀籠リーグ戦の日程>★
 これから、銀籠クラブはリーグ戦に突入します。2部昇格目指して、頑張りますので、応援のほど宜しくお願いします。
 
日程
 6月23日(日)リーグ初戦 GAME 13:45~
  岸和田総合体育館 ユニ白
  対ラストアゲイン OFFI12:30~


 7月6日(土)GAME 11時15分~ 
  東淀川体育館 ユニ・黒
  対ジェニュイン OFFICIAL10時~
 
 8月25日(日)GAME 15:00~(リーグ3戦目) 
  なみはやドーム ユニ白
  対新撰組 OFFI16:15~


 8月31日(土)GAME 13時45分~ 
  千島体育館 ユニ・黒
  対SOD OFFICIAL12時30分~


 9月23日(祝・月)GAME 13時45分~ 
  羽曳野コロシアム ユニ・白
  対フリースタイル OFFICIAL12時30分~

 
(クリックで拡大)
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昭和57年(1982年)卒 作田 慎治氏 追想文

               作田君追悼文

 

月日の流れは速いといいますが、作田君が逝去されて早半年が過ぎようとしています。


(管理人:割り込みで遺影写真を挿入します)
作田氏遺影作田氏遺影_銀籠





通夜:1月9日(水)18時~
葬儀:1月10日(木)12時30分~
場所:西神中央平安祭典(平安祭典西神会館)
喪主:作田容子(妻)
 

仕事の関係で作田君が入院しているのではないかとの情報が届いたのが、昨年の3月ごろでした。会社にメールをしましたが返事も無く心配していたのですが、4月には元気な作田君を見かけたとの話もあり、また秋にでも連絡すれば良いやと考え、すぐに連絡を取らなかったことが悔やまれてなりません。秋に飲みに誘うメールをしても返事が無く、忙しいのかなと思い、連絡を待っていたところ、11月初旬に奥様の容子さんから「主人が西村さんに至急お会いしたい」との手紙を受け取り、あわてて連絡をしてお見舞いに行きました。


 その時のことは忘れられません。あの元気一杯の作田君が、車椅子に乗り右半身不随で会話もままならない状態でした。奥様に状況を聞くと、その前の年(
2011年)の年末に頭部に腫瘍が見つかり、緊急入院・緊急手術。手術は成功し4月には会社に出社できるまで回復したそうです。ところが10月の中旬ごろに突然自宅で倒れ、検査の結果、腫瘍の再発とわかったそうです。話を聞き取り理解することは出来るのですが、声帯が麻痺して声が出にくいようでした。右半身が不自由でも、食事は自分でスプーンをもって行えるようで、一緒にコーヒーとかを飲みながら、私が一方的に話をしていました。作田君はいろいろな表情で話を聞いていたのですが、ゴルフや会社の話し、特に銀籠の話になると、今の自分が歯痒く、悔しいような何ともいえない表情を浮かべたのが印象的でした。奥様はいたって気丈に振舞われており、「大きな子供が出来たと考えれば、介護も苦にならない」と話されていました。本人はあまり公にしたくないとのことでしたが、次は大学の先輩と来ることを約してその場を辞しました。


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月になり、池田先輩と一年後輩の松岡君と3人で雪の降る寒い日に、再度お見舞いに伺いました。最初のお見舞いの日から、二週間しか経っていないのに、彼の状態は悪くなっているように感じられました。車椅子での会話もままならず、彼をベッドに横たえるのも三人がかりで精一杯でした。帰り道、池田先輩、松岡君と全快は難しくても、快方に向かい、年明けには他の先輩方とお見舞いに来られれば良いなと話していました。が、その願いもむなしく、年明けの16日に奥様から「容態が悪化して緊急入院をした」との連絡を頂きました。すぐにでも駆けつけたかったのですが、あいにく所用で出張しており、翌日お見舞いに行くことを約束して神戸に向かいました。翌朝、会社に行く途中で病院に行こうと奥様に連絡を取ると「夜中に安らかに眠りについた」との返事で、呆然と立ち尽くしたことを覚えています。

 

作田君と知り合ったのは、大学一年の春(1979年)バスケットボール部に入部したときです。最初の頃は十数人の新入部員がいたと思いますが、一ヶ月もすると、髭が濃く、走るのが大好きな元気一杯の作田君、いつもオチョケテいる田中君、飄々とした杉山君、そして私の4名しか一年生として残っていませんでした。当時は4年生から1年生まで、試合や練習では厳しい関係でしたが、それ以外の場面では和気あいあいとした非常に雰囲気の良いクラブだったと記憶しています。練習好きでほとんど休まずに練習に参加した作田君。試合ではガードとして走りまわり、シュートが打てる場面でも無理やりパスを出そうとした作田君。3年生になると同学年は作田、田中、西村の3名だけとなり、4年生が引退したあとは、田中君と私は工学部だったので練習は後半しか出られないことを、いつも二人がサボっていると怒っていた作田君。最後の七帝戦で風邪をひいて悔しい思いをした作田君。飲むと目の周りが赤くなり、人懐っこい顔になる作田君。ほかの人に人一倍気を配る作田君。君とは二度と杯を酌み交わせないのですね。・・・・

 

お通夜には、竹村先輩、植木先輩、中国から急遽帰国した田中君はじめ多くの方が参列し、その晩は皆で三宮の居酒屋で作田君の供養の杯を重ねました。翌日の告別式には多くの先輩方が参列して、お別れをしました。今は、最愛の容子さんと一緒に自宅に居ると聞いています。また、お邪魔してバカ話をします。まだまだこれからという年齢で去ってしまうのは無念だったでしょうが、天国でゆっくりとお休みください。と言っても貴君は走り回るのでしょうね。合掌。

 

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昭和57年卒 西村 顕

 

 

◎同期の田中君からもメールを頂いていますので追記します。

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西村さん

 

ご連絡有難うございます。

追悼文ありがとう。

内容を読ませて頂き、読みながら涙がこぼれそうになっています。

作田君との思い出は書き尽せないほど多くありますが、

西村さんの追悼文に凝縮されてますので、これで十分です。

作田君が亡くなったなんて未だに信じられません。

信じたくありません。

心の中に残って居ればいい。

心の中でいつまでも思い出として残って居ればいい。

本当に寂しい想いで一杯です。

宜しくお願いします。

                                 合掌

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◎竹村先輩から頂いた作田君の人柄がにじむメール(2007年11月22日)を追記します。

(住所などの伏せ字は西村がしました。)

 

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 竹村先輩殿、植木先輩殿

 

57年卒作田でございます。たいへんご無沙汰しております。

先日の記念総会には会社行事のため、出席できずに申し訳ありませんでした。

現在は、兵庫県の中程に位置する「高砂市」にて勤務いたしております。これまでの間に、神戸・加古川勤務時代には会社のクラブ活動に参加しておりました関係上、名門『銀籠クラブ』には新入社員時代の20数年前にしか参加できませんでしたことを懐かしく思い出しております。

 

さて、このたびの『T-シャツ追加注文』をお願いいたしたく、メールさせていただきます。また、皆さんがお集まりになる機会をご案内いただき、ぜひとも参加いたしたくお願い申し上げます。

 

1 サイズ : L

2 注文枚数 : 1枚

3 発送先 :  

     住所)〒651-**** 神戸市西区井吹台*町*丁目*-**-***

     宛先) 作田 慎治

     電話) 078-***-****

                

【ご連絡】723日よりメールアドレスが変更になりました。

作田 慎治

株式会社神戸製鋼所 高砂製作所 」

 

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竹村先輩ありがとうございました。

 

合掌

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